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大阪高等裁判所 昭和29年(ネ)1443号 判決

控訴人 沢田真明

被控訴人 林昭夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決をもとめ、被控訴代理人は、控訴棄却の判決をもとめた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、「控訴人主張の約束手形一〇通は、訴外加藤五郎が被控訴人から委任を受けて振出したものであり、少くとも振出の後被控訴人からその追認を受けており、単なる偽造の手形ということはできない。控訴人は右約束手形によつて右訴外人に融資をしたものであつて、その手形を偽造とするにおいては、同訴外人を刑事被告人とすることになるかも知れないのであるから、同人と義兄弟の被控訴人がその解決に力をつくすのは人情の自然である。そして、被控訴人が昭和二九年四月一六日右加藤五郎に、印鑑証明書および白紙委任状を交付したことは争のないところであり、仮に被控訴人主張のごとく、右が加藤五郎のその取引先に対する金五万円の債務につき保証契約書を作成させるために交付されたにすぎないとしても、とにかく、同訴外人の債務解決のために白紙委任状と印鑑証明書を交付して代理権を与えたことは争がない。そうすれば、本件準消費貸借契約は、右加藤五郎がその代理権の限度を越えて締結したこととなるが、控訴人がこれにつき、被控訴人と上記の関係にあり、被控訴人から白紙委任状および印鑑証明書の交付を受けて持参した同訴外人に、上記のごとき約束手形債務を目的として被控訴人のため本件準消費貸借契約を締結する代理権があるものと信じたのは当然であつて、これを信ずるに正当な理由があつたものといわねばならない」と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

〈証拠省略〉

理由

昭和二九年四月二七日大津地方法務局所属公証人上田啓次作成の第七二、〇八七号消費貸借契約公正証書(本件公正証書)に、被控訴人が昭和二九年四月一六日控訴人から金九五四、四〇〇円を借受け、訴外加藤五郎が連帯保証した旨の記載があることは当事者間に争がない。

控訴人は、右消費貸借につき金銭の授受のなかつたことをみとめ、右は、被控訴人を振出人とする控訴人主張の約束手形一〇通による手形債務を目的とし、被控訴人から昭和二九年四月一六日委任を受けた訴外加藤五郎が被控訴人の代理人となつて控訴人との間の準消費貸借契約を結び、これについて、公正証書を作成したものであると主張する。

しかし、原審における証人加藤五郎の証言(第一、二回)および当番における控訴本人の供述によれば、右約束手形一〇通は、被控訴人の姉の夫で当時彦根市で金属商を営んでいた訴外加藤五郎が、控訴人から資金の融通を受けその担保に控訴人に交付したものであるが、すべて右加藤五郎がその振出日の頃作成し、被控訴人の氏名も同人が書き、その印章も同人が作つて押したものであることが明らかである。

証人加藤五郎は原審における第一、二回の証言および当審における証言を通じて、右手形の振出については、被控訴人の事前の了解を得、また振出後にもその承諾を得ている旨証言するが、原審における同証人の第二回証言により真正に成立したとみとめられる甲第三号証の一、二(同号証の一中郵便局の消印についてはその成立に争がない)原審証人土田勘次郎の証言および原審(第一、二回)および当番における被控訴本人の供述と対比して、まつたく信用することができず、右対比の証拠によれば右振出については、その前後を通じて、被控訴人の承諾を得ていないことが明らかであり、この点に関する原審証人加藤亀次郎の証言は単に右加藤五郎からの伝聞証言で、とるに足らず、他に右認定を左右する証拠はない。

ところで、当審における控訴本人の供述によれば、控訴人が加藤五郎から右約束手形を受取つた際には、同人がその取引先から受取つた手形であるとして渡されたものであり、上記貸金の弁済期が来てその返済を請求するにおよび、はじめて加藤の妻から振出人たる被控訴人が同人の弟であることをきかされたもので、控訴人はもともと加藤五郎を信用して資金を融通した関係から右手形振出人たる被控訴人の資力等は一切たしかめたこともなく、手形の満期がきても別に呈示して支払をもとめることもせず、もつぱら加藤に返済をもとめていたが、加藤が支払をなさず日が経つにおよんで、ようやく被控訴人から支払の確証を取る必要を感じて、昭和二九年四月一五日、被控訴人と交渉するために大阪に出向き、同日夕刻、加藤五郎とともに被控訴人の家の近くまで行つたが、控訴人はそれまで被控訴人と面識なく、一回の交渉もない間柄であつて、加藤が一人で交渉してくるというので同人にまかせ、委任状および印鑑証明書の用紙を持たせて被控訴人方にやり、控訴人は近所で待つていたところ、約二時間程して帰つて来た加藤は、被控訴人方に来客があつて話ができなかつたとのことで、その晩は二人で旅館に一泊、翌一六日朝再び二人で被控訴人方の近くまで赴き、やはり加藤一人で被控訴人方に入り、控訴人は近所で待つているうち、二〇分程で加藤が白紙委任状と印鑑証明書用紙に被控訴人の捺印を得て帰つてきたので同人からこれを受取り、その日に被控訴人の印鑑証明書の下付を受け、その後右の委任状と印鑑証明書とによつて本件公正証書を作成するにいたつた経緯をみとめることができる。

而して、原審および当審における証人加藤五郎の証言(原審は第一、二回)および控訴本人の供述によると、訴外加藤五郎は上記約束手形関係の債務につき控訴人との間に公正証書を作ることを承諾して前記白紙委任状および印鑑証明書を渡した事実がみとめられるから、同人において被控訴人の代理人として控訴人との間に、上記約束手形について振出人としての被控訴人の債務をみとめ、これを目的として本件公正証書のごとき内容の準消費貸借契約がなされたものとみとめるのを相当とする。もつとも、上記約束手形の振出が偽造であることは既に認定の通りであるが、かかる偽造手形の振出人が手形債務のないことを知りながら、所持人との間において右手形金の支払を約し、これを消費貸借に改めたときは右準消費貸借契約は有効に成立し得るものと解すべきところ、本件において被控訴人が訴外加藤五郎に代理権を与えたと認め得る証拠は何もなく、ただ原審(第一、二回)および当審における被控訴本人の供述によると、被控訴人は訴外加藤五郎より同人の取引先に対する債務約五万円につき保証人となることを懇請され、これを承諾して同人にその公正証書作成のため上記白紙委任状等を交付した事実を認め得るに過ぎず、これに反する前記加藤証人の証言は措信しがたいから、前認定の準消費貸借契約は、右加藤五郎において代理権の範囲を越えてなしたものといわねばならない。

これに対し、控訴人は右加藤五郎の代理行為が、被控訴人の与えた代理権の範囲を越えた行為であるとしても、控訴人は正当な理由のもとに、加藤にその代理権があるものと信じたと主張するが、上来認定の本件公正証書作成にいたる経緯に鑑みるときは、控訴人において本件公正証書の前提となつた約束手形の振出についてすでに疑念を抱くべき筋合であるのに、これについて被控訴人に何等確めるところもなく、さらに本件公正証書作成のための委任状を受取るべく来阪し、二日にわたる手数をかけながら、被控訴人に面接することもなく、訴外加藤五郎のいうままとなし、むしろ被控訴人名義の白紙委任状さえ入手すれば万事了れりとの態度に終始したことは、明らかに控訴人に重大な過失があるものといわねばならないから、たとえ、控訴人において訴外加藤五郎に本件準消費貸借契約をなすにつき代理権があるものと信じたとしても、民法第一一〇条に所謂正当の理由があつたものと認めるに由がない。

してみると、訴外加藤五郎のした行為につき被控訴人に債務を帰せしめるに由がないこと勿論であるから、前記公正証書に記載された被控訴人の控訴人に対する金九五四、四〇〇円の債務は存在しないものとするほかなく、その旨の確認をもとめる被控訴人の請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴はこれを棄却すべきである。よつて、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 吉村正道 金田宇佐夫 鈴木敏夫)

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